大寒、旧暦の新年も過ぎていよいよ2023年も本格的に始まりましたね。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
旧年も多くの方々に大変お世話になりました。
さらなる心地よさへ導かれるようますます精進して参りますので、昨年お世話ななった方はもちろん、まだ見ぬ皆さま方も何卒よろしくお願い申し上げます。
さて以下は自分思いを徒然と。
独り言にて特に読まなくてもいいですw
寺野家の新暦の年末から旧暦の年始までですが、これまでとは一変した時間を過ごしておりました。
というのも、年末差し迫る12月28日に父が80歳で他界し、1月2日に通夜、3日に告別式、そこからいろんな名義変更やら連絡やらで慌しい日々でした。
親(に限らずですが)の死に立ち会うことは寂しさや悲しさもありますが、いい感じで旅立ってくれたのではないかと思っています。
仕事(祖父が創業した名古屋駅前の柳橋中央市場にあるわさびやつまものという野菜を販売する「寺野商店」二代目店主)を70歳で引退し、以降10年近くは母とふたりで全国津々浦々を旅行三昧。
さらに、万葉集や古今和歌集などの古典文学やそれに使われるくずし字について学んだりと自由時間を謳歌していました。
僕には年子の兄がいるのですが、父が若かりし頃は自身が商売人であったことや商売人は世の中の景気に左右されやすいことからか、僕ら兄弟に「いい会社に入って安定した暮らしを手に入れろ」と言い聞かせてられていた記憶があります。
一方で父は映画「男はつらいよ」が大好きで、ユーモアに溢れた粋な言動や自由奔放に全国を旅する寅さんやスマートでダンディな男が活躍する「ダブルオーセブン(007))」やカウボーイ映画も好きでよく一緒に見ていた記憶もあります。
ただ、「いい会社に入れば幸せになれるのか?」と思っていた僕はそういった堅苦しい生き方に疑問を持っていて、大学卒業するときに就職氷河期が来ていたこともあり、就職の道を選ばす、フリーライターの道へと進むことになります。
この時は父の反対を押し切っての決断だったのでケンカみたいになったし、しばらく実家からも足が遠のいていた時期もありました。
それとは逆に兄は中高ともに生徒会長をやるほどの優等生で、大学卒業後は公務員となり、結婚もして家も建てて、中学生になるひとり息子もいてと、まさに父が望んでいたような暮らしを手に入れてくれたので、僕は寅さん担当ということにしてw、安心して放蕩生活を続けていました。
優秀な兄と比べて、常に心配をかけてきたことやこれまでの恩を返すためにも、ここ数年は名古屋に立ち寄るごとに両親の背中を触り、歳と共に変化していく親の背中に触れてこられたということも僕にとっては、とても救いになっています。
これこそが、多くの人、いや全ての人に身体を知ってほしい最大の理由のひとつです。
幾万偏の言葉を交わすよりも、触れ合うことの方がある意味深い交流ができます。
親と会話するなんて恥ずかしいという人にこそぜひ実践してほしいです。
引退後、好きに遊んでのんびりと暮らした父は、少しずつ頭のネジが緩んできて、後半3〜4年は笑えるほどの小ボケでしたが、だんだんと緩みが増してきて、この世を去る一年前からは施設に入所することに。
一応、気が確かなうちに僕は拠点を東京から名古屋に戻して、スタジオも作り、そしてなにより結婚もして息子まで授かることにもなりました。
なんとか息子の川(セン)を抱っこさせてやりたいと思っていましたが、センを抱っこした2日後から入所するという抜群のタイミング。どこまでわかっていたかはわかりませんが、父と息子は確かに触れ合って交流していました。
それは本当に美しい光景でした。
生前、やり残したことはないの?とよく聞いていましたが、「別にない」と言っていたのが本当に救いになっています。
入所してわずか1年。人はここまであっという間に枯れていくのかという死際でしたが、僕はなんとなく父がもうやり切ったから自ら死にに行ったのではないかなと思うほどです。
きちんと生前に自分がボケたら、自分が死んだらとあれこれ整理して遺言なども残してくれていたことも、キチンとした性格の父らしいなという感じです。
老いてゆく、そしてボケて行く、死んでゆくひとりの人の死際を間近で見て、いろいろと考えされられることもたくさんありました。
それはまたいずれ。
そして、病人や老人、死人にまつわるビジネスや国の制度なんかもいろいろと勉強になりますね。
年末という時期でしたがかえって仕事もヒマな時だったし大きな問題もなく無事に見送りできて、その辺りもさすがタイミングを知ってるねという思いです。
去る人がいれば来る人がいる。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」(from 方丈記, 鴨長明)
まさにですよね。
父はこの世を去りましたが、まだ母は元気ですし、なにより我が家には一昨年より仲間に加わってくれた妻と昨年登場した息子もいます。
僕も僕でできることを、できるときに、できるだけやり続け、大いなる流れのひとしずくとして流れていこう。
父さん、おつかれさまでした。
ありがとう。
さて、僕らも少し骨休みしたらまた旅を続けよう。
一連の出来事を通して、自分のなかではますます探求が深まり、たくさんの気づきに出会えました。
これらはまた整体やワークショップを通して皆さんとシェアしていきたいと思います。
「どう生きるか」が「どう死んでゆくのか」という「死に際」を決めていきます。
よりよく死ぬためによりよく生きる。
そのためにはしなかやに、伸びやかに動く心地よい体は欠かせません。
心地よく生きて、心地よく死ぬために、一緒に心地よい身体づくりをしていきませんか?
2023年も【遊体法/テラノ式手ぬぐい体操】および漢方整体をよろしくお願いいたします。
快適な身体とこころを育てる
「粋創庵」主
寺野正樹(Macky)