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気づくこと・感じること・意識すること



「Don’t think , feel.」

僕の心の師のひとり、ブルース・リー先生の名言のひとつです。

あまりにも有名な言葉ですね。

日本語では「考えるな、感じろ」という意味ですね。

身体のことを探求していくと、その最奥部といいますか、
避けては通れないサミット(山頂)がいくつかあります。

ジャンルでいうと「医学」「武術」「スポーツ」あたり。

いずれも身体の理(ことわり)を極め、さらにその理を
“人を癒すこと”に使うのか、”人を倒す(殺す)ため”に使うのか、
はたまた、“究極のパフォーマンスのため”に使うのか、
という違いはあれど、人体を極めているということにおいては、
それぞれ共通することは多々あります。

武術には「活殺自在(殺活自在)」という言葉があるように、
身体のなかにある、当たり前のルールをどう使うかによって、
相手を活かすことも殺すことも自在にできるということです。

どういうことかといえば、例えば肩関節。

これ以上、向こう側に曲げると関節が外れてしまうという
臨界点を正確に把握しているならば、関節が外れて、
もがき苦しんでいる人の関節を元の位置に戻すこともできるし、
逆に、ちょっと力を入れるだけで、相手の関節を外してしまうこともできるのです。

ちょっと飛躍しますが、ツボと北斗神拳の経絡秘孔の
違いもこれにあたるかもしれませんね。
病気を癒すツボも押し方や場所を変えると、人を死に至らしめると。
ま、そのような秘孔が実在するかは僕はまだ知りませんが。

ま、それはさておき、真に極めた人は、
自分の加減によってどちらにも使えるということです。

そういう観点から、“身体を極めた達人”を取り上げたときに
ブルース・リー先生の名前を外すワケにはいきません。

単なるアクションスターというイメージしか持っていない人も
いるでしょうが、本当は実にストイックで、人間がたどりつく
身体と動きを極めた達人のひとりに間違いありません。

この逸話を語り出すとキリがないのでそのエピソードは
詳しいサイトがいくつもあるんで、そちらに譲ります。

まあ、他にもいる近代の達人といえば、ヒクソン・グレイシー、
マイケル・ジョーダン、マイケル・ジャクソン、イチロー、
タイガー・ウッズ、石川遼、宮里藍、ジェリー・ロペスなどなど。

その世界の“レジェンド”と呼ばれる人たちも同様に、
自分の肉体に対して深い洞察と、たゆまない修練の結果、
人間の可能性を広げたとパイオニアたちとでもいえましょう。

これらの偉人についても多くの人が語っておられますが、
僕もいずれ偉人シリーズは語りたいと思います。

で、再度、ブルース・リー先生ですよ。

この名言以外にも、「水のように流れろ」とか、
「限界などはない。ただ、うまくいかない時があるだけだ。
だが、そこに留まっていてはいけない。それを超えて行くのだ」
などなど、それこそ名言も多数あります。

そして、僕も身体の探求を深めていくうちに、
「ハッ」と気づくことがたくさんあります。

できなかった動きができるようになるとき、
届かなかった所に届くようになるとき、
今できる最速の動きができるようになったとき、

ものスゴい感動というか悦びがそこにあるんですが、
そんなときに、「あ、そいういえば、ブルース・リーも
同じようなこと言っていたな」とか、「同じような動きを
していたな」ってことが多々あるんです。

それは、ブルース・リーに限ったことではなく、ときには
ヒクソンだったり、石川遼であったり、イチローが過去に
言っていた発言、やっていた動きだったりすることがたくさんあります。

これは、ある意味当たり前なんです。

人間の動きを追求していけばそうなるんです。

動く場所を動くだけ、最も効率よくスピーディに動かすと、
ジャンルは違えど同じ動きになるというか。

もちろん、全部ができるワケはないんですけど、
自分が少しでも動けるようになってくると、新しい感覚が芽生えて、
「ああ、こういうことなのか」というヴァーチャル体験ができるといいますか。

うーむ。すいません。
今日はこれを話したいワケじゃないんです。
この「動きを追求するとたどりつく場所」の話はいずれまた。

で、結局何かってーと、「Don’t think , feel.」です。

やっぱり、身体の探求、ひいては意識の探究をするにあたって
最も重要なことのひとつに挙げられるのが「感じること」です。
「気づくこと」、「意識すること」ともいえるでしょう。

ワークショップなどでは「脱力すること」と同じく、
しつこいくらいにみなさんにお伝えしているんですが、

そもそも、「脱力すること」も脱力しているかどうかを
「感じること」ができなければ、正解かどうかすら
わからないという状態になってしまいます。

「感じること」なので「考えること」ではありません。
頭の奥で、または身体の部位で感じる言葉にもならない「感覚」。

それは、心地よさなのか不快感なのか、重さか軽さか、
痛みか広がりか、緊張か脱力か……。

その感覚は、どれだけエラい先生だろうが、武術の達人だろうが
決して他人では伺い知ることはできません。

先生や達人であれば薬を処方してくれたり、
動きを修正してくれたりはしてくれますが、その人の痛みや快感を
そのまま味わうことは不可能なのです。

そのため、この感覚を自分でいかに明確に捉えられるかが重要なのです。

自分の中にどういう感覚が沸き起こっているかということに、
いち早く「気づき、感じ、意識すること」ができたら、

そして、その感覚が気持ちよければ、深めていけばいいし、
不快なものであれば、気持ちいい方向へと修正すればいい。

ただ、これだけのことだと思うんです。

でもなかなかできないんですよね。

恐らく野生動物はこの感覚に長けているんだと思います。
でないと、あっけなく後ろから忍び寄られて殺されてしまいます。

本来、僕たち人間にも備わっているはずの感覚なんですが、
いつのまにか文明というぬるま湯に使っている間に、
奥底にあった光が曇り、野生の牙が抜かれてしまったようです。

私事ですいまえんが、僕は身体と意識の探求を初めてから、
腰痛もすっかり治りましたし、風邪なども1度も引いていません。

「整体」という言葉を作った野口晴哉(のぐちはるちか)先生は、
その著書で「風邪は自然の健康法である。風邪は治すべきものではない」
と、仰っておられますが、この方も近代の偉人であり、
僕の尊敬する方のひとりでありますので、反論するつもりはありませんし、
まったくその通りだと思うのですが、

「感じる」力が発達してくると、風邪の引き始め、それもかなりの
前段階で「このままいくと風邪だな」と、「気づく」んです。

それは、一般的に風邪で寝込むという状態を「10」とするならば、
多くの人は「7〜8」でようやく風邪ということに気づくことになるんですが、
僕はおそらく「2〜3」で気づいていると思います。

その時点で気づけば、温かくして早く寝るとか、生姜湯を飲むとか、
簡単な対策だけですぐに通常の状態に戻れるようになります。

みんな本当は気づいているんです、その不調に。

でも、「忙しい」とか「面倒くさい」とか、「まだ大丈夫」と、
自分に言い訳を作って何もしないことが多いので、風邪になるんです。

または、風邪だとわかっていても何をしていいのかわからないから、
放っておいて、気づいたら熱が出ていたということもあるでしょう。

この「対応」については、経験や知恵が物をいうこともあります。
これもいずれ話すことになるでしょう。

まあ、風邪だったら普段は健康体の人であれば、2〜3日寝てれば
すぐに治るからいいでしょうけれども、これが重大な病気だったら、
大変なことになるかもしれません。

これもすべて考え方なので、重大な病気が悪い訳ではありませんが、
ただ、医者に言われて初めて気づくとか、気づいたら遅かったというのは、
辛いし、残念な気持ちになりがちだと思います。

そのためにも、普段から自分の身体のことをよく知っておくこと、
そして、身体から発せられる、普段とは違う「メッセージ」に
いち早く「気づいて・感じて・意識すること」は非常に大切なのです。

単なる体操やトレーニング、エクササイズとは異なり、
この感覚に気づいていくことが「遊体法」のポイントなのです。

この「感じる」感覚を磨くために、「テラノ式手ぬぐい体操」があります。

普段から、自分はどこまで動かせて、どういう動きが苦手なのかを
明確に把握しながら、どう動かすと気持ちいいのか、
痛みがなくなるのかを探求してみてください。

動く、動かないは重要ではないのです。
「感じられるかどうか」が大切なのです。

特に「気持ちいい」と感じられるかどうかです。
痛みや苦しさはなるべく味わいたくないですよね。

もちろん、味わいたい人はそれでもいいでしょうけど、
少なくとも僕は苦しさよりも気持ち良さを求めていきたいです。

肉体を通して感じる感覚が磨かれてゆくと、それはやがて、
身体の中を飛び出して、身の回りの空間、気配を感じ、
さらに、広い範囲を仔細に感じていくことができるはずです。

たとえば、混雑している場所から友人を見つけ出すとか、
ドライブ中に不意に飛び出してくる人を安全によけられるとか、
超人気店なのに並ばずすんなり席が取れたとか、
些細なことであっても、自分の周囲の小さな異変に気づき、
対応できていればすんなりと流れに乗っていけるようになります。

「気づき・感じ・意識すること」ができることは、
今までになかった視点を取り入れ、大きな流れに乗るための
チケットを手にするということでもあります。

その感じる能力が極限まで研ぎすまされてゆくと、先に登場した
近代の偉人たちのような領域に達するのではないかと思います。

「考える」ということは、どこまでいっても、その人が勝手に
描き出したストーリーでしかありません。

「感じる」ことは、その時を味わうことです。
そこに“自分”という意識が介在する余地はありません。
その瞬間をあるがままに感じるのみです。

最初はもやもやとしていて、思考に走りがちでしょうが、
慣れてくるとだんだんとその感覚は明確になってきます。

それは、原石を磨くようにじっくりゆっくりやるのみです。
近道はありません。ただ、感じ続けるのみです。

しかも、どれが正解ということはありません。
先程も申し上げたように、その人の感覚は他人では決して
伺い知ることなどできないからです。

だから感じたまま感じて、その通りに行動すればいいのです。
間違うこともあるかもしれませんが、それはそれ。

うまく感じられていなかったかもしれないし、
行動が的外れだったのかもしれません。あるいはタイミングが
少しずれていたということだってあります。

ただ、本当に感じるまま感じて、その通りに動けたとしたら、
すべては意のなるままに動いていくことでしょう。

だから「Don’t think,feel!!」なんです。
みなさん、感じて生きていますか?

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