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“器”のはなし

物事に動じない、または何でも受けれ入れてくれる度量のある人のことを、

「アイツは器のデカいヤツだからな」

と、表現することがあります。

要するに、その人にどれぐらいの容量があるのかということを、
器の容量にたとえて言っているワケですが。

一般的には「器の大きい人ほどエラい」という風潮が
あるように思われますが、はたしてそうなんでしょうか。

僕はそう思いません。

確かに小さいよりは大きい方が可能性としては大きいでしょうが、
一概にそうとも言い切れないと思います。

なぜなら、どれだけ大きな器を持っていたとしても、
その器に一杯モノが詰まっていては、新しいモノを入れられないからです。

もし、器の大きい人と小さい人(例え話なので便宜上ね)がいたとします。

そうですね、丼とおちょこぐらいの大きさの違いとしておきましょうか。

そこで、その器に米100粒分の“新しいアイデア”を
入れることにします。

ポテンシャルとしては米100粒入れるだけを考えれば、
断然おちょこの方が不利になってしまうでしょう。

しかし、例えば丼の方には、すでに目一杯の米が盛られていて、
100粒分すら入るスペースがなかったとしたら。

逆に、おちょこの方は何も入っていなければ。

そのような場合、”米100粒を入れる”ということを考えれば、
結果としておちょこの方が勝つということになります。

まあ、勝ち負けでモノを判断するのもアレなんですが、
ここは例え話ということなんでわかりやすく。

もちろん、両方とも容量があって入れられれば、
結果としては引き分けということになります。

つまり、大切なのは”器の大きさ”ではなくて、

”その時、どれだけの容量があるのか”

ということになるんじゃないでしょうか。

いくら器自体が大きくても、そこに要らないモノで
満たされていては意味がありません。

器が小さくても、常に要らないモノをどんどん手放して、
空き容量が大きければ、いつでも新しいモノを入れられます。

ここでいう“要らないモノ”というのは、実際のモノでもありますが、
どちらかというと精神性、“不安”や”ストレス”が大きいと思います。

例えば、いくら大金を稼いでいても、常に仕事に追われ、
将来のことばかり案じているような人は、
その場、その時を楽しむことができません。

逆に、お金を稼いでいなくても、不安やストレスがなければ、
その場、その時を思い切り楽しむことができます。

つまり、この自分の器=自分自身を、常にどれだけ
空っぽにしていられるかというのが大切だと思います。

とはいえ、心を無にするなんてちょっとやそっとじゃ
できるはずもありません。

浮かび上がる雑念をうまく処理して、または、受け入れて、
消し去っていくというやり方もなくはありません。

それはまた話す機会があるかもしれませんが、
ともかく、知らない人にとっては簡単ではありません。
本当はそんなに難しくもないんですが。

ここで、ポジティブシンキングだとか自己啓発だとか、
出てくるワケですけども、そういった類いはどうしても、
頭で「考えて」しまうので、いくらそうだと自分に言い聞かせても、
理性みたいなのが、「本当にそうなのか?」と邪魔をしてきます。

これは頭のいい人程そうだと思います。

では、どうするかというと、「身体からアプローチ」してみるんです。

なぜなら、器の中にある不要な想いのなかでも、
「痛み」や「だるさ」、「不具合」といった身体に関する
ストレスがあると、それは結構な割合を占めてしまいます。

ちょっと近所まで買い物に行きたいけど、腰が痛いからまあいいや、とか、
膝が痛いから立ち上がるのも面倒臭いといったことなど、
身体に痛みや不具合があると、知らず知らずのうちに気持ちが
後ろ向きになっていることがたくさんあります。

その想いというのは頭からなくなることはありません。

もし、身体に体する不安や不調というモノがなくなれば、
アナタ自身の器はかなりの容量を確保するはずです。

少なくとも僕はそうでした。
僕もヒドい腰痛持ちだったので、何かする度に、
「これは腰に悪そうだからやめとこ」とか、
何かをしてもすぐに腰が痛くなるから、
仕事や遊びに集中できないということがよくありました。

ですが、手ぬぐい体操をはじめ、ヨガやエクササイズをして、
身体の不調がなくなり、不安がなくなってくると、
身体が動くようになるだけでなく、気分も前向きになりました。

その想いが消えた分、代わりにもっとワクワクするような
クリエイティブな発想をインプットすることで、
少しずつですが、日々の生活も変わってきます。

一方で、身体を動かして関節の可動域を広げたり、
効率のいい使い方をマスターしていくことは、
“器”としての“身体”に空き容量があるということです。

淀みなく流れる思考と肉体。

常に空っぽにして流れるがまま流れていれば、
自然と大きな流れに乗っかれるし、
新しい情報を、余計な価値判断を下さず
受け入れることができます。

それはつまり“今この瞬間を生きる”ということでもあります。

これは器の大きさではありません。

器が大きい小さいというのは、他人と比べるからそうなるだけです。

それを比べ始めたらキリがありません。

世界を見渡してみれば、そして歴史を振り返ってみれば、
とんでもない器の人なんかごろごろいます。

その器というハードそのモノを大きくするという
チャレンジももちろん大切ですが、

ソフトである器の中身を常に掃除してアップグレードし続ければ、
何の問題もないと思います。

だからこそ、流れ続けなければいけないと思います。

同じ所にとどまるということは、流れが淀むということであり、

器に余計なモノや思考が溜まっていくということです。

つまり、身体を見てみても、気血が滞って不調がでるということです。

身体を十分に手入れして、自分がどれだけできるかを知ることは、
自分の器の大きさを知り、空き容量を知るということでもあります。

詰まっている所を流して、要らない老廃物を体外に捨てる。

こうした身体という“器”の掃除から始めることで、
やがて心の“器”の掃除にも繋がるのです。

ところが、みんな、手放すことを恐れて溜め込んでしまっているんですね。

それは今まで貯めたモノがなくなるのが恐いという思いもあるのでしょう。

でも、そんなもの最初から何もなかったモノですから。

それに、どれだけ器の容量が大きい人でも、掃除をしなければ
いつかいっぱいいっぱいになってしまいます。

「心の余裕」というスペースを失った器は、行き場を失い、
やがて、自らが溜め込んだ不要物に飲み込まれてしまうでしょう。

残念ながら僕の器は、要らない信念やネガティブな感情を
しまい込んでおく程大きくないようです。

そんな想いを溜めないように、まずは手ぬぐいで身体の手入れをして、

なるべく空っぽにしつつも、こぼれ落ちるぐらいの
愛と明日への希望で満たしておきたいと思います。

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