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認めて、そして許してあげること


“できている”とか”できていない”とかない」や
頑張らないこと」でもお話ししましたが、
最初はついつい無理してしまいがちです。

それが悪いワケではないんですが、
自分の力量以上に無理をして頑張っても結局ロクなことはありません。

では、なぜ頑張って無理してしまうのでしょうか。

その原因のひとつに「自分のコトを知らない(認められない)」
ということが挙げられると思います。

また肩を回す動きを例にとって考えてみましょう。

普段からストレッチやヨガをしている人なら、
ある程度自分の限界のポイントを知っているでしょうから、
それほど無理することも多くありません。

しかし、普段、あまり身体を動かしていない人が行うと、
普段は使っていないところをいきなり動かしてしまううえに、
「自分はもっとできるはず」とか「もう少しでできるから」
といって、ウーンっと頑張ってしまいがちです。

こうした背景には、きっと「自分はこんなモノじゃない」
という思いがどこかに潜んでいるんじゃないでしょうか。

負けず嫌いの自分とでもいいましょうか。

定期的に身体を動かしていなければ、年齢とともに
筋力も柔軟性も落ちてくるのは当然です。

言い方がアレですが、こうした「老化」は、
はやくも20代の頃から始まっています

でも、多くの人が、現在の年齢や体力を忘れて、
気持ちだけは、あの超動けていた若い頃の記憶のまま
止まっているということがあります。

“忘れて”というよりも、知っていながら”見ないフリ”を
しているといってもいいかもしれません。

ボクもそうでした。
特にボクのように学生時代に部活を一生懸命していたとか、
勝ち気な性格の人は、気力はまだまだ充実していますから、
なおさらそうなってしまいがちです。

こんなハズじゃない、と。

“気力”は年齢に関係なく充実させることは可能です。
でも、“体力”は何もしていないと衰える一方なのです。


そのため、体力に関しては身体のメンテナンスをしっかりと
行っていかなれば落ちていく一方です。

どれだけ、自分の肉体美を明確に想像しても、
動かないことにはその肉体は手に入りません。

ここで大切なのが、「うわー、私、もう手遅れじゃん」とか、
「どうせやってもできないし」と、諦めてしまわないことです。

それが一番もったいないことです!!

なぜなら、いつから初めても手遅れじゃないからです。

自分のなかでは「あの頃これぐらいできたんだから、
今でもこれぐらいは動けるはず」という幻想があります。

でも、現実は違います。

思ったように動けません。

このギャップが自分に“大いなる落胆”をもたらすんです

「うわぁ、オレってこんなに動けないんだ」
「もう自分も歳をとったってことなんだ」
と、諦めてガッカリしてしまったり、

「こんなモノじゃない」「まだまだ行けるはずだ」
と、無理してしまったり。

これはともに、「現実を認めていない」ということに他なりません。

動いていなかったんだから、動かないのは当然なんです。

だからガッカリする必要なんて全くないんです!!

それが身体のメカニズムなんです。

それを知らずに気力だけでなんとかなると思っていたら大間違いです。

そんな過ぎ去ったことを悔いてもし方ありません。
そして、そんな現状を知って未来に対して不安を持つ必要もありません。
このあたりは“「今」しかない”を参照ください。

だから、まずは認めてあげるといいと思います。

「動いていなかったから仕方ない」と。

厳しい言い方ですが、それが「今」であり「現実」なんです。

そして、勘違いしないでほしいのは、
動かないことが決して悪いことではない、ということです。

別に動かなくたって今すぐに死にゃしないんだから。

動かなくたって幸せに人生を全うしている人もたくさんいますから。

動かないなりに、そこでできる最大限を楽しみ尽くせば、
それは、動いているけど最大限楽しめてない人よりも、
幸せな時間を過ごしているといえなくもありません。

例えば足が一本しかない、と聞くとかわいそうだなとか
思うかもしれませんが、それでも足が2本ある人よりも
輝いている人なんかたくさんいます。

足があるとかないとかなんて、人と比べてのことです。

それよりも「今の自分が楽しめているのかどうか」。

これこそが大切じゃないかと思います。

だから、運動してこなかったことは仕方ないんです。
そうだったんだから。

だからこそ、運動することを面倒臭がっていた自分というものを
「許してあげること」も大切だと思います。

ただ、“いろんな可能性”を考えると、やはり、動かないよりは動いた方が、
何かとトクなことが多い、とボクは考えています。

だから、まずは「今の自分」を“認めて”、
「仕方ない、大丈夫だよ」と“許してあげること”ことから始めると、
気持ちもラクになりますし、自分に無理もしなくなります。

身体へのアプローチも同じです

まずは、限界近くまで伸びていきます。

すると、どこかから緊張(痛み)が始まります。

その深さは人によって違いますが、何度も言っているように、
深くいくからエラいとかそういう話ではありません。

緊張(痛み)をまず“認めて”あげるんですね。

正確に感じるといってもいいかもしれません。

ここの部位のここの筋肉が緊張(痛み)を発していると。

緊張(痛み)があるということは、言い換えれば縮んでいる
ということですから、次に、その部位を深く感じながら、
その緊張や縮みを解放してあげるんですね。

それは、つまり「緊張しなくてもいいんだよ」と、
自分の身体を”許してあげること”でもあるのです

どうしても、緊張やコリがあると、そこに意識が集中してしまって、
一生懸命伸ばそうとかほぐそうとかしてしまいがちなんですが、
実は、そこで力を込めても全く逆効果なのです。

そんなときにこそ、“許し”が必要なんです。

“許し=ゆるめる”ことで、その緊張は溶けて、
やがて、心地よさがそこに広がっていくんです。

“ゆっくり”とその気持ちよさを感じて、その気持ちよさを深めていくんです。

すると、ふと“力の抜ける感覚”を味わうことができるはずです。

その瞬間は、最初本当に一瞬のことで、不確かな感覚だと思います。

でも、最初だからわからないのも当然なんです。

それでも、気持ち良さを求めていくと、やがて、
その“力の抜ける感覚”が確かなものになっていきます。

確かなものになったら、もうこっちのもの。

ゆっくりとその感覚を求めていくだけです。

この感覚は焦っていたり、力を込めては掴めません。

脱力することでのみ到達できる境地です

認めて、そして許してあげること。

現代の多くの人は、自覚していないかもしれませんが、
意識の奥底では自分に厳しくなっています。

ひと昔前と比べても生活レベルも格段にアップしているから
理想が高くなっていると言ってもいいかもしれません。

だから、できないことを認めたくないと、心のどこかで
思ってしまっているのかもしれません。

でも、そんなのはハッキリ言って単なる驕りです。

そんな小さなプライドは捨ててしまった方がラクです。

ツライ生き方を選びたいならそれはそれで止めませんが。

そして、まずはできるところで楽しむこと、これも重要です。

そこで楽しんでいると、いつの間にか楽しめる範囲が
広がっていくんです。

これは人間関係や自分の過去のトラウマなども同じです。

こじれた人間関係を修復するときに、力を使ってしまうと、
より争いが大きくなるばかりです。

また、自分の過去のトラウマや失敗したことなども、
忘れようとして必至になればなるほど大きくなります。

そんなときこそ、「そんなこともあるよね」と認めて、
「仕方ないよね」と大きな愛で許してあげることで、
淀んでいた流れが、ふっと流れ始めていくんです。

そんな経験ありますよね?

力で力を制しても何も生み出さないことは、
ここ数十年の歴史がハッキリと物語っています。

非暴力を訴えたガンジーとか、
愛を歌い続けたジョン・レノンとか本当にスゴいですよね。

対抗することではなく包み込むことでひとつになる

身体も意識も、世の中も同じなんです。

身体からアプローチすることでこのこともはっきり理解できます。

力を込めることではなく、力を抜くこと。

対抗することではなく、ひとつに溶け合うこと。

まさに、これからの時代に求められる生き方そのものだと思っています。

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